こじらせ東大男子が恋バナはじめました~前編~

今回の記事は、「こじらせ東大男子が恋バナはじめました」です。いんこ、すぱいす、ちょるるぐっちー、わいわいたろーの4人で、「どうしてモテたいのか?」というテーマから「恋バナ」をしてみました。(文責:いんこ)

 

  • 自己成長的な「モテ」

いんこ 今回の登壇者・二村ヒトシさんの著書『すべてはモテるためである』の冒頭で、「なぜモテたいと思うか?」という問いがありますよね。

僕の場合、「モテたい」欲望は、吃音の体験と、とても密接につながっているような気がします。吃音だったために、「本当は、言いたかったけど、言えなかった、言わなかった」という経験を子どもの頃からたくさん重ねてきました。話すためのタイミングがうまくつかめなくて、時間がたつうちに「やっぱり話さなくてもいいか」と、よく方向転換してしまうんです。「言いたかった」という消えることのない欲望を抱えながら、「言えなかったのか、言わなかったのか」という答えの出ない問題に、いつも一人で悩んでいました。

だからだと思いますが、僕の場合、恋愛、あるいはコミュニケーション一般において何か克服したいものがあるとすれば、「誰かに振り向いてもらいたい」とか、「誰かに好かれたい」と言うよりは、「ちゃんと思いを伝えたい人に伝えられる人間になりたい」という思いが強いです。

ちょるる 「モテたい」が、自己成長的な意味を持っているような、感じですね。

いんこ そうですね。広い意味では、それも「モテたい」なのかもしれませんが。でも、「モテたい」って、どちらかというと能動的な表現ではないじゃないですか。『すべてはモテるためである』は、「なんとしてでもモテたい」という、モテることに積極的な人が読む本だと思うんですけど。でも、「モテる」っていう状態は、本来、相手からの能動性を前提とした表現のような気がします。一方、僕が今言った「ちゃんと伝えられる人になりたい」というような欲望って、もっと、能動的な欲望だと思うんですね。一方的と言ってもいいかもしれません。もしかしたら、僕は、相手から承認されなくても、どう思われようが、とりあえず、「思いさえ伝えられればいい」という風に思っている節さえあるのかもしれません。

話していて気がつきましたが、だとすると、僕の「伝えたい」という欲望って、ちょっと自己中心的な気がします。もちろん、「伝えられない」「伝えにくい」ということには、身体の問題だけではなくて、相手との関係性も大いに影響していますから、全く他者を無視した欲望ではないと思いますが。

 

  • 承認的な「モテ」

すぱいす 僕は、あまり、「こういう自分になりたいみたい」な欲望は、あまりないような気がします。

いんこ 「モテたい」とは思いますか?

すぱいす 「モテない人間」か「モテる人間」なら、「モテる人間」でありたいと思います。でも、今の自分が恋愛と言うものに要求しているものは、ひたすら「安心感」なんですよね。「自分はここにいて良い」とか「僕はこの人に愛されている」というか。

いんこ 承認的ですね。

すぱいす 性欲を満たせれば満たせた方が良いです。でも、性欲って、セックスしたら満たされるかと言ったらそうではないですよね。今まで恋愛をしてきて、何でその人たちと一緒にいたかったかと言うと、「その人だから」とか、「その人がこういう人だから、付き合っていて幸せだった」と言うよりは、「自分の居場所であった」と言うその事実の方が自分にとってはるかに大きい気がします。自分から人を好きになることも無くて。

いんこ 告白とかはしないんですか。

すぱいす 告白したのは一度だけです。でも、それは、自分の過去の恋愛経験から言ったらとても例外的なことです。基本的には相手から告白されるか、お互いに暗黙の了解と言うかんじで付き合い始めますね。

高校生の時は3年間同じ人と一緒にいたりして、その人とは、いわゆる共依存みたいな関係でした。「僕が頼れる」とかではなくて、「お互いの居場所である」と言うのを、「互いに許可しあっている」というような感じだったんですね。僕の場合、「モテたい」と言うより、「安らぎたい」と言う気持ちが大きいかなと思います。

いんこ 「相手に何かを与えたい」みたいなことはありますか。

すぱいす 相手から承認されるという関係性を前提として、何かを与えることはあります。それをすることで自分が認められるならしたい、という感じです。そういう意味で、「モテ」の話に関しては、自己中心的な部分が大きいかな、と思います。

ちょるる すごくその気持ちはわかります。承認欲求のためにその人に対して何かをするみたいな感じは、恋人関係では無くてもあるかなと思うんですね。たとえば、かわいい女の子に、いろんな人が親切にするのは、「その人が自分を承認してくれる度合いが高まるだろう」見たいな期待が裏にあると思うんですね。つまり、「自分のことなんかぜんぜん気がついてくれなくても、単にその人が幸せであればいい」みたいには、思っていない。だから、かわいい女の子は、色々な人にちやほやされるのです。

すぱいす 承認さえ得られれば、別に恋愛関係じゃなくても、いいかな、と思っている節があります。今まで自分が所属していた集団の中でも、なんていうか、「働き屋」みたいなポジションになりがちです。オリ長だったんですけど。

いんこ オリ長かあ。いかにも、承認を得られやすいポジションですね。

 

  • 自分のことを好きになってくれる女の子がキモチワルイ

すぱいす 僕、人から好かれることが苦手なんですよ。自分のことを好きになる女の子のことが基本的には苦手です。小学校の頃、告白された時、僕が一番最初に感じた感情は、「キモチワルイ」だったんですよ。バレンタインでチョコをもらってもキモチワルイみたいな。

いんこ へええ!

すぱいす でも、好きな女の子と、お祭りで一緒に歩くみたいなのはすごく楽しい。でも、その子から「愛されていて楽しい」と言うよりは、「一緒にいて楽しいと思ってもらえるだけで十分」みたいな感じなんです。そういう意味で言ったら、僕は、モテたいとは思っていないのかもしれない。

いんこ 面白い。

すぱいす って言う意味では、自分はすごく「こじれているな」って思います。告白されてオーケーすることはほとんどないし、自分から告白することも、無い。だから、さっきいった、暗黙の了解でしか、付き合うと言うことがあまり無い。

ちょるる 暗黙の了解って、あれですよね。事実婚じゃないですけど、実態的にお互いがお互いの居場所になっているから、「テイとして付き合う」ということを、「選択することが出来る」みたいな?

すぱいす そんな感じかもしれません。会って、手をつなぐとかして、それこそ原宿を手をつないで歩いたとか、そういうのを経て、数日後とかに、メールだ電話口だとかで、「私たち付き合っているのか」っていう展開になって、そこではじめて、儀式的な意味でも、イニシエーションの完了と言うか。

いんこ それで嫌いになったりすることは無いですか。

すぱいす それはないですね。自分も相手のことを、恋愛的なのか友愛的なのか、それに関してはわからないにしても、相手を好意的に捉らえているというのが、あるのなら、いいのかなあ、という感じですね。

 

・・・いかがでしたか?

「どうしてモテたいのか」からはじまった恋バナですが、途中から、すぱいすさんの恋愛観についての話に変化しましたね。

次回は、座談会の後半『こじらせ東大生が恋バナはじめました』(後編)です。「キモチイイ関係とはどんな関係か」について、さらに語り合います。お楽しみに!

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